歴史小説家(NHK大河ドラマ「天地人」原作者) 火坂 雅志氏

直江兼続と私の出会い

 2009年度のNHK大河ドラマの主人公である直江兼続は、額に 「愛」の兜をかぶった武将として有名ですが、これまでほとんど知られていなっかた武将です。一部の「戦国ファン」の人々からは徳川家康に対して「直江状」 を叩きつけ、意気地を示した戦略家として注目されていましたが、兼続の故郷である新潟県の人々にもほとんど知られていない存在でした。しかし、兼続は大阪 城を築城した豊臣秀吉が「天下執柄(しっぺい)の器量人」、つまり、天下の政治を任せられるほどの大きな器量を持った人物であると言ったほどの武将です。

  私と直江兼続の出会いには運命的なものがあります。中学生時代を長岡市で過ごしていた私は野球部に所属していました。当時は野球帽のつばの裏側のフェルト の部分には「根性」「努力」「勇気」「忍耐」などの勇ましい文字が書かれていました。私はそこに「愛」という文字を書いていました。冬に廊下で腕立て伏せ をしていたときに、たまたま帽子が落ちて監督の足下にころがりました。そのとき私が書いていた「愛」という文字を見て、監督が怒鳴りました。当時のことで すから監督が怒るのは当然ですが、怒られたことが心に刻まれました。

 大学時代に一念発起して歴史小説家になろうと決め、歴史の 本を読破していたとき、戦場で兜の額に大きな文字で「愛」と着けている男を見つけ驚きました。解説を読むと直江兼続という越後出身の人物であると書かれて います。そのときこの男を書けるのは新潟県出身の自分しかいないと思い込みました。それ以来、直江兼続をテーマに書くことは私の熱い夢になりました。

民政(経済政策)に長じた上杉謙信

  越後の国、現在の新潟県南魚沼市が直江兼続の出身地です。大変雪の深いところで、昔は軒を超えて雪が積り、道路から足を滑らせると屋根の上に落ちてしまう ような土地です。兼続は子ども時代に、後の主君である上杉景勝とともに海沿いの上越市にある上杉謙信の春日山城に移ります。上杉謙信は青年を集めて教育す ることに尽力しましたが、そこで兼続も武将としての心構えや戦いの仕方、民政などを学びました。10代で入門した兼続は数年で謙信の一番弟子といわれる存 在になっています。

 上杉謙信は経済政策に長けた武将で、新田開発、金・銀山の開発などを行いました。さらに、殖産興業に努め、 特産品である越後上布のもととなる青苧(あおそ)を育てるノウハウを開発し、質のよい青苧を作り出して京や大坂に持ち込みました。当時は流通ルートの幹線 は波の静かな日本海側にありましたが、日本海側の流通経済を掌握することによって台頭したのが上杉謙信でした。ただの神がかりの武将というわけではありま せん。

「義」のもとに戦国時代最高の家臣団を組織化し、名将への道を歩む

  経済大国を築く一方で、上杉謙信は「義」というテーマを掲げました。「義」の精神とは私利私欲だけではなく、公のため、世間のために自分に何ができるのか を念頭において行動することにあります。戦国という乱世に台頭していく武将は、梟雄(きょうゆう)と呼ばれ、裏切り、暗殺など権力を取るためには何でもや るという武将達でした。それくらいでないと生き残れない厳しい世の中で、謙信は「それでいいのか」、胸を張って人間らしく生きることがこの乱世ではできな いのかと言い出したのです。多くの武将が蔑む中で「義」を掲げた謙信のもとには多くの武士が集まり始め、謙信は求心力を持ちはじめました。その後、謙信は 戦国時代で最高といわれる家臣団の組織化に成功し、最後には戦国の名将といわれるようになりました。謙信の死後、直江兼続は謙信の経済政策と「義」により 国を治めるという政策を引き継ぎました。

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